仏教ロマン玉砕、モヒート漬けのタイからまたインドのラダックに戻り、
当初の予定とは全く違うけど、
お寺にあるゲストハウスで、お坊さんたちとわいわいしながら、教授のもとで仏教の勉強をさせてもらうというとても恵まれている環境で生活してる。
ネットもテレビもコンビニもモヒートもなく、フィードのリア充を目にして落ち込んだり、あれもこれもと欲望の元となる情報に触れることもなく、自分の気持ちに素直になれている。
仏教の授業は教授とマンツーマンで、英語でやってもらってる。私自身の問題に焦点を当てて、言葉と知識をお互いにすり合わせながら、ベーシックな仏教の教義を教えてもらっている。カウンセリングみたい。
日本にいる時は、大学の授業と独学だけで、仏教の歴史とか世界観とか、用語を調べたりするだけで、自分の生活において仏教を現実化できなかったし、自分の考え方のどんな部分が仏教と一致しているのか具体的には分からなかったけど、
幸運なことに良い先生に恵まれて、心理的に余裕を持てる環境で、授業で学んだことをすぐに自分の属しているコミュニティで生かしたり、ピュアな仏教圏で他の人がどんな風に仏教の影響を受けているのかを見ることが出来る。もう数ヶ月、ダライ・ラマの夏のティーチングまではここにいるつもり。
感じ悪いおばさんとかいるし、自分が短気でお客さんとケンカしたり、嫌なこともあるけど、嫌なことがある方が、自分を落ち着かせるために仏教に沿って考える機会が増えるので良いとしている。今学んでることを日本の生活でもでも生かせるように、毎日を大切に生きる!
そして母の日、過ぎちゃったけど、最近の授業の内容から、仏教遊学も即了解してくれた最大のスポンサーである母上に感謝を示したいと思う。
仏教における『思いやり』について。
思いやりとは、すべての人、生き物に対し、考えて、その対象が抱える苦しみからの解放されるのを願うこと。
苦しんでいる人の立場になって、その人の苦しみに焦点を当てる。そう努めることは、他の人を助けることをより簡単にする。
自分の大切な人、距離の近いひとに思いやりを持って、私の出来ることはなんでもやってあげようって思うのは簡単だけど、全く知らない人とか、苦手な人とかにはどうも難しい。
思いやりを自然と持てるようになるために、まずは思いやりの心を家族に思いやりを向ける。
1番距離が近いのに思いやりを向けるのを忘れてしまう、家族。親。兄弟。ついつい甘えてしまって、相手の気持ちを考えることさえしてない。
思いやりの対象を家族から徐々に広げていくことで、他人にもその気持ちを向けることが出来るようになる、らしい。
親はまだ元気だし、まだまだ自分が頼る側だけど、家族に対してこれからは思いやりの心を忘れないようにしよう。どんな時も、思いやりをもって私を育ててくれてありがとう。
会社をやめて、夢に向かって頑張りつつ、もう何かのせいにせずに自分の人生を楽しみ尽くそうとしている母の姿と「好きなことしいな」という言葉は、モラトリアム真っ只中の私にとても影響を与えている。
にじかは元気にやってるから、心配しないで、体調に気をつけて、お酒飲みすぎないで、ほどほどに頑張れ、いつもありがとうお母さん!
thx Thailand
i had a good time cuz kind people and mojito
Easily one of my favorite photos I’ve ever seen.
(Source: cherbawabaleeb)
止まらない下痢と薄い酸素の中で、いつものように、結末のない小難しいことを考えていた時に、部屋に男の人が入ってきた。
エンジ色の袈裟の上にダウンジャケットを羽織っていた。
外は10度以下だっていうのに、丸めた頭はなにも被っていなくて、寒そうだった。
挨拶をして、自己紹介をして、近所のおばさんもやって来て、チャイを飲みながら、ひととおり世間話をした後、星型の刺繍の入ったお守りを渡された。
それは紙が何層にも重なって作られていて、中には文字が書いてあるみたいだったけど、小さく折りたたまれて、糸でしっかり綴じられていた。
それから、どこから出したのか、色褪せた赤い表紙の分厚い本を開いて、ちょうど真ん中くらいのページを詠みはじめた。
誰に言われたわけでもなく、自然に座禅をして、手を合わせて、目を閉じた。
チベット語だから、なにを言ってるかも分からないけど、私のために読経してくれているらしい。
リズムよく、お経を読み上げる、お腹に響く低い声も心地よかったけど、誰かが自分のために祈ってくれているのが嬉しかった。
どれくらいそうしていたのか分からないけど、読経の声が聞こえなると少し淋しかった。
仏教徒と同じくらいイスラム教徒がいて、ヒンディーとかクリスチャンもいるラダックだけど、病気がどうしてもよくならない時には、宗教関係なく、チベット仏教のお坊さんを呼んで、マントラを読んでもらうらしい。
タヤタガテガテパラガテパラサムガテブティスワァ
その後、元気になってからこの時のお坊さんの、お寺にあるお部屋に招いてもらった。
仏教の考え方や問答、そもそも仏教に興味を持ったキッカケでもある、個人的な問題について話した。
この出来事の前に、仏教大学に行ったり、ギャオ・カルマパに会ったりしたけども、この時やっと、仏教遊学っぽくなってきたと思えた瞬間だった。
お坊さんと話して考えたことは、もうちょっとまとまったら書こう。
3月4日から遊学するので、帰国後の自分のためにこの旅について書いておこう

(延暦寺@日本)
今回の目的は、仏教が文化に対して影響力を持っている国や地域を回って、日本との比較における材料集め
仏教文化よりも、生活習慣とか伝統的な風習に焦点を当てて考察
そのために、なるべく現地の人、それも広い層と積極的に関わるようにする
仏教文化の違いに興味を持ったきっかけは、日本の大乗仏教とは異なる、上座部仏教圏のホーチミンで見たあのキンキラキンの仏像と、現地のイケイケなお姉ちゃんがひまざまずいてお経を唱えながらお参りしているのを見たこと

(永厳寺@ベトナム)
去年の秋に行ったチベット仏教圏のラダックでは、あまりにも、お家に仏像がおいてある仏間があるくらい、仏教が生活に浸透していた

(へミスゴンパ@インド)
同じ仏教でも国によって様々な信仰の形があるということを知ってから、もっと他の国の仏教文化やそれに基づく生活を見たい、知りたいと思うようになり、仏教国巡りをすることを決めた
中途半端な歴女が成長して、なり損ない寺ガールになった私は、ふりがながふってあるような、小学生でも読めるような、簡単な本から読み始めて、「お寺」と「神社」の違いからゆっくり仏教の勉強を始めて気づいたことは、2500年前に説かれたのにも関わらず、人々を惹きつけ続ける、時代や国を超えた、根本的な教えが数多くあって、日本文化もその影響をうけてきていて、無意識のうちに仏教的な考え方をしていること
「仏教は、私達人間が持っている様々な感情について、つまり、心という精神世界について大変深い考察と研究をしています。私たちの心とはどういうものなのか、感情がどのような働きをしているのかを正しく理解することは、問題や困難に直面したとき、自分の破壊的な感情を克服するために大変に役に立つのです。」
と池上彰も言っているように、もはや信仰関係なく、仏教は感情をコントロールするツールとして、一生勉強し続けたいと思う
最後になってしまったけど、実はもう一つの目的がある
遊学(準備含めて)を通して、私の中にある日本人としのアイデンティティを再発見。Discovery Japanese、ってカッコよく言ってみたかっただけなんだけど、
もっと日本のこと知らないとなあと前回の旅で感じて、勉強しようとしてみたけど、半年いろいろ試行錯誤してみて完全に今迷子。人に話しながらアウトプットして、モノにしていこう
正直、旅での精神的肉体的苦痛の心配よりも、自分が何も吸収することが出来なかったらどうしようという不安の方が強い
京都まで渡航安全祈願と学問成就祈願に行ったくらいだけど、もう本当にどうしようもなくなったら、また近くのお寺にお参りするからきっと大丈夫
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2012年の成長ぶりを振り返るために年はじめにたてた目標を見返した
①生活を管理
②必修単位をとる
③秘書検定準1級とる
④自分で稼いだお金を使う
⑤48キロ


chris velan (by signe constable.)
「月が綺麗ですね」の反対は「月は綺麗ですね」と聞いて
日本語って凄いなって
—(via yellowblog)
(via galliano)